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生きる

何を信じて、どう生きるか

誰もが、何かを信じて生きている。その拠りどころは、うまくいかないときの羅針盤になる。何を信じるかは自由だが、自分が何を信じているかは知っておきたい。自分の人生を世の波にどれだけ預けるかも、自分で決めたい。

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「宗教や哲学」は人生の羅針盤

誰もが、何かを信じて生きている。 「自分は無宗教だ」という人にも、心のどこかに拠りどころ――世界の見方がある。 その拠りどころは、人生の羅針盤になる。

順調なときは、それを意識することはない。 効いてくるのは、うまくいかないときだ。

人は、頭の中でいくらでも「こうだ」と信じる世界を描ける。 けれど、その思い込みが現実とズレたとき、人は二つに分かれる。 現実のほうを否定して思い込みに閉じこもるか、思い込みを手放して現実に合わせるか。 だから、自分の人生観が何に立脚しているかを、知っておくことは大切だ。 人生がうまくいかないときは、前提にしている世界観が現実に合っていないことが多い。 自分の「世界の見方」を改めて眺めて、必要なら軌道修正する。 その力が、人生を柔軟に生きることにつながる。

たとえば、「社会の役に立ち、生きた証を残したい」という生き方がある。 私はこれを「孔子的」だと思う。 仁義礼智信を体現した、素晴らしい生き方だ。 けれど、社会でうまくいかず苦しいとき、この物差しだけだと逃げ場がなくなる。

そんなとき、老子的な「役に立たなくてもいい、あるがままでいい」を知っていたら、肩の力を抜けるのではないか。 少なくとも、私はそれに救われた。 社会で成功した人が、むしろ――よく肥え、大切にされ、やがて祭りに捧げられる牛(郊祭の犠牛)のように見えることさえある。

何を信じるかは、自由だ。 でも、自分が何を信じているかは、知っておいたほうがいい。 信じるところが変われば、人は変われるのだから。

だから、子どもにも、この羅針盤を渡したい。 小学校や中学校の本棚に、「哲学・宗教」の棚がある。 私はそれを、本当によかったと思っている。 年齢で区切って「まだ早い」と決めつけるでもなく、 親が信じるものだけを与えるでもなく、 人類が長い歴史のなかで、さまざまな哲学や宗教観を育ててきた―― そのことを、子どもには知ってほしい。

経済や社会に依存しすぎない

すでに私たちの暮らしは世界経済に組み込まれ、否応なしに、地球の裏側で起きたことが仕事や生活に影響するようになって久しい。 そして、世界経済は絶妙なバランスの上に成り立っている。 社会は戦争や災害など、ちょっとしたことで、混乱するし、景気や状況も変わっていく。 自分の人生を、他人が作り出す波に、どのくらい預けるか?を自分で決めたいと思う。

念のため、気候変動に備えたいと考えている。 万が一、気候変動が現実のものになったら、歴史的に珍しい飽食の時代が終わるかもしれない。

教育とは別軸ではあるが、子どもたちのその次の世代まで考えたとき、いまの私たちの世代ができることをしてあげたいと思っている。